90年の蓄積〜メタボより骨太

NHK教育”すイエんさー”の『にゃあー!』が
好きだたりします。ははは、やられたねアレは。


ここんとこマインドがサッカーに戻ってきたかな?
なんかサッカー観たくてしょーがないのよねー。
JEFはどーなんだろか?ナビスコは終わったし
リーグで踏ん張らんと、、勝ちきるのってホント
難しいんだろなぁ、代表もそんな持病があるか。


・日本サッカー史
  日本代表の90年 1917-2006/後藤健生


を読んでます、さすがに2段組400頁って
キツイっすけども、オモシロイので読みよみ。


日本サッカー史―日本代表の90年 (サッカー批評叢書)

日本サッカー史―日本代表の90年 (サッカー批評叢書)


なんだかんだでずっと同じよーなサッカーを
やってる日本代表という選抜チームなんだと
その歴史を読んで代表を観ると、再確認を
させられるねぇ。明治の昔から日本人の
体格とか気質に合ってる組織的で勤勉な
ショートパスを繋ぐサッカーてのを普遍的に
延々とやってんだわねぇ、転機はいくつか
あったかもしれない、クラマーさんの招聘、
オフト監督からの外国人監督の起用とか。
でも、どの時期も同じよーに組織で守り、
パスで崩す攻めで組み立てるサッカーを
やってたんだから、その時々の状況とか
選手の能力に拠るけども、サッカーの質は
確実に進歩はしてるんじゃないかと思う。
ジーコ監督の時はある意味異質かな?)
サッカーの列強と相対して、まだ弱いだろ
というのではなく、主体としての向上てのを
俯瞰して認識するのも大事なんだと思うな。


で、列強に対して日本はまだ経験が足りず
積み重ねが必要だと延々と云われ続けて
それもそーなんだけども、深く疑念も感じ、
何時まで、何処まで経験すれば良いの?
という素朴な問題にブチ当たってしまう。
他の国の代表はそこまでの目標を持って
サッカーやってんのかなぁ?とか思うのね。
いつまでも積み上げだの蓄積だのという
ある意味での”言い訳”を繰り返してるよに
感じたりはするかな、もうワールドカップ
3度も出たんだしね。いい加減にチームの
積み上げの部分だけに比重を置くでなく、
もっとプリミティブな日本代表としての根幹を
太く強くする肝ッ玉と腹の据わった内実を
磨いてもいいんでないかなぁ?とか思うのさ。
パスワークでの崩しは連携さえ合ってしまえば
もう強豪と渡り合えるレベルなんじゃないの?
そこで重要なのが連携が取れない合わない時に
どうするのか?って判断の部分なんだと思う、
個人の発想とか独力による打開とかの部分を
許容する、ある意味でチームとしての規律や
リミッターを外すスイッチが必要かなと思うな。


組織での守備とパスワークと勤勉な運動量で
強くなった、しかし決定力不足を打破しきれない
日本代表に必要なモノって、もはや組織とか
連携とか精度ではなく、緻密なサッカーとは
対極にある”ポッコリ勝っちゃう”勝負強さだろ
と強く感じてたりはするかな。代表の悪癖で
中東のチーム相手に”ポッコリ負けたり”する
事はあっても、カウンターを狙い済ましてから
決めきって勝っちゃうとかあんまり無いよーな
気がすんですわ。この勝負強さって連携とか
連動とかチームの完成度ってより、どれだけ
勝ちたいかという選手の肝っ玉の据り具合に
掛かってくるんだと思うし、負けるつもりでは
サッカーやってないんだろうけども、組織とか
連携とかパスワークとかをぶっ飛ばした後に
残る部分を磨いていけばもっと強くなりそな
気がすんだわね、日本代表もそんな時期に
なったんじゃなかろうか、、とか思うんっすよ。
”カウンターでポッコリ勝つ”とか云ってもね、
同点あるいは負けてる試合の終盤にDFを
前線に上げて放り込むだけってのでもなく、
ワタシはJEFが好きなので、昨期の最終節、
J1残留に負けられなかったFC東京戦での
後半の谷澤のタテ1本のパスに合わせた
新居のトラップ一発のゴールやその直後の
左サイドからアーリー気味に放り込んで、
巻が落として谷澤が決めたボレーとかね、
あんな追い込まれた状況での”どうしても”
という場面の判断とか決断とか思い切り、
自分らのストロングポイントである部分を
あえてすっ飛ばしてしまう、狙い澄ました
確信犯的な攻撃ってのは、局面で選手の
肝っ玉の据わり具合に拠る部分だよなぁ
とか思うのですわ。代表の中盤での連携と
パスワークをすっ飛ばして、でも短絡的に
前線に放り込むだけでなく、狙い澄ました
アーリークロスからFWのヘッド一発!!
とかね、そんなチームの連携とか戦術とか
考える以前の衝動的なプリミティブな決断、
阿吽の呼吸てのが、ギリギリの局面とかで
効いてくるんじゃないのかなぁ?と思うなぁ。
これまでの日本サッカーで積み上げてきた
戦術とかチームとしての附加の部分てのを
捨てられる強さってのが重要で必要かなと
思てたりはするな。特に本大会での強豪と
対峙する試合で、どこまで素で戦えるかって
覚悟は重要になってくるよな気がするんだ。
これまでのワールドカップの日本代表って
準備して作り上げたチームが崩壊していく
場面を繰り返してると感じてて、もうそろそろ
準備して構築してって部分だけに頼るのは
止めにして、経験とか積み上げとかいうのを
言い訳にするサッカーから脱却しちまうよな
おバカ炸裂な部分も同時に内包させるべく
意識を持たないと、ホントに勝たなきゃの
局面で勝ちきれない勝負弱さをいつまでも
打破できないよーな気がするんだわねぇ。
自分らの蓄積、経験、戦術あらゆるモノを
信じてるなら、ソレと同じくらいに信じてる
モノを手放す勇気や決断が戦いには必要
になるんじゃないのか?とか思うんだわね。


ワールドカップ予選のウズベキスタン戦が
今夜なんっすけど、引き分けとか負けの
場合も可能性はあるワケで、コレが最後の
試合でもないんだから、肝っ玉の据わった
プレーとか采配を見せて欲しいと思うかな。


でも、爺ちゃんの後を受けた岡田監督は
”路線の継承”とか”オレ流”とかいろいろ
周囲の罵詈雑言に負けじと良いチームを
構築してんじゃないっすかね?そう思うけど。
実に日本的な”らしい”サッカーやってるし。
コレで勝ちきれないってのなら、やっぱ後は
選手個々のプリミティブな部分を発動させる
構築や蓄積に拠らない思い切りに期待だね。
最後の最後、組織とか連携とかでどうしても
打破できない局面で、ぜってー崩壊しない
意固地さとか挫けない負けン気の爆発力、
そんな部分を磨き上げれば世界の強豪と
対戦しても臆せず戦えるんじゃなかろかね。
個人も組織も両方大事なんだろからさ。
蓄積を抱え込んだメタボより、ソリッドで
骨太な部分で勝負しないと強豪相手には
渡り合えないよーに感じるのだなぁ、、と。


日本代表は我らの代表なんだから、
肝っ玉据えて延々としつこく観てっから、
代表の選手も監督も肝っ玉据えてから
思いっきりプレーしてくれればと思うねぇ。
サッカーだから結果はしょーがないさね。
少なくともサッカー好きは覚悟決めよっ!


日本サッカー90年の歴史、2段組400頁を
読んでるとさすがにいろいろと考えるわさ。
さすがに読み遂せるのタイヘン!にゃあー!