食後の茶柱

カラ梅雨が一転、集中豪雨かよぉ・・・
川横暮らしは湿度が高くてヘナヘナだぜ。


いやぁホントにこの1ヶ月は読書したなぁ。
貯めてたサッカーの本を立て続けに読破。
いちお、もう止めとくラストにコレを読む。


えのきどいちろう”サッカー茶柱観測所”

サッカー茶柱観測所

サッカー茶柱観測所


ちょっとえのきどさんの語りに慣れるまで
読み難さがあったんだけども、短いコラムが
連続なので、リズムに乗ったら止まらない。
アレだなぁ、茶柱っつー言い回しがあるから
感じるのかもしれないけども、えのきどさん、
ごはん食べるみたいにサッカー観てるなぁ
と感じました。サッカーだけでなく野球とか
ホッケーとかでもそんなカンジなのかな?
食事と同じくらいの日常感と”楽しみ感”が
文章に出てるよに思いました、読後感。
テレビで観る試合は、家ごはんみたいで、
イタリアンもあればハンバーグもあったり、
フツーのごはん(試合)、特別なごはん(試合)
代表戦やCL、各国リーグのクライマックスは
特別な”ご馳走”みたいなカンジに思えた。
実際にスタジアムに行く時は、外食するぞ
みたいな感覚か、Jリーグなら美味い定食を
食べにちょっと行くかと試合(メニュー)選び、
代表戦やらカップ戦決勝や大事な試合は
気合の入れての外食で、ワールドカップ
オリンピックはコレはもうフルコースの食事だ。
でも、どんなごはん(試合)であっても食後に
お茶飲んで茶柱が立ったりするんだろなぁと。
ごはんそのものが美味かったり、その周辺に
茶柱が立つよーな出来事が付随してたり・・・
そんな日常の茶柱を読ませてくれてるなぁ。


食後のお茶って余韻の要素なんだと思う。
サッカーを観た後の余韻を茶柱に例える
その感覚は、試合そのものだけでもなく、
サッカー周辺の余韻を表した絶妙さだなぁ。
あぁアノ時茶柱立ったよなぁ、、ってカンジ。


何処か特定のサポーターでもないんだけど
ファンとしての肩入れはちゃんとあったり、
本業の仕事なんだけど、好きで観てるだけ
って部分もちゃんと表明してくれてるから、
そーゆー曖昧さが心地よい立ち位置になり
サポとファンとか本業と趣味とかの見えない
壁をとっぱらった開放感というか、でも何か
”後ろめたさ”も抱えてる感が良かったす。
えのきどさんの立ち位置って最強かもなぁ)


原チャリを手に入れて、スタジアムに向かう
コラムには、その昔、原チャリ乗ってて同じ
よーなことしてたから、思い出し笑いしたわ。
いやぁ、原チャリの行動半径にスタジアムが
あるなら、原チャリって選択は最強かもよ。
ウチからだとJFL、ニューウェーブの本城
しかないからちょっとキビイシんだけどもね。
やっぱ原チャリが要るなぁ、、ビーノ良いなぁw


日常で茶柱が立つ感覚を見逃さない感性を
持ってたりすると、日々愉しいのかもなぁ。
その茶柱は良い事だけでなく、悪い事にも
反応してナンボなのかもしれないけどもね。