”ベスト4”という文言

元NHKアナウンサー、山本浩さんの解説
視点・論点”『日本代表 ベスト4の意味』

Youtubeに上がってたのはいいけど、激重w
ウチの貧弱なPC環境ではツライのす(>_<;)
解説委員ブログにテキストUPしてクレぇ!


この山本さんの捉え方と解釈ってのがさ、
”ベスト4”の本意に則しているのだと思う。
ワタシは具体的なベスト4なんて目標には
あまり頓着は無い、勝負の結果なんてのは
その時の状況なんだから、具体的な目標は
お題目でしかない、その程度の認識と期待。


お題目であるベスト4という文言での批判は、
サッカー的な文脈ってよりは、メディア的な文脈
を強く感じるのだな、取り上げ易いだけだな。


ベスト4という本質は山本さんが解説されてる
”5試合を戦いきるチームの構築を目指す”
この部分なんじゃないのかなぁ?そう思う。
いや、そーいったタフなチームで挑みたい
という”志の高さ”なんじゃないのかな?
明確な目標設定=”志の高さ”という短絡な
捉え方では、画に描いた餅だらけになって
アテネ、北京のオリンピックと同じよーに
消費されるキャッチコピーでしかなくなるし。
”ベスト4”という具体的な目標設定の文言に
捉われ過ぎ、固執し過ぎてお題目だけでしか
評価が出来ないってのは、あまりに貧相で
ビンボー臭い価値だなぁ、、とか思うのだな。
マスコミ、メディアは殊更にお題目でしかない
”ベスト4”という文言だけ取り上げて煽り倒し、
その文言の本意を捉えてはいないよなー。
そんな文言に含まれた本意を留意しにくい
であろう海外の監督に、お題目である文言を
ぶつけて批判的なコメントを引き出そうとする
その遣り方というか魂胆がまったく粗雑だわ。
実力的に無理なのかどうかは別の判断として
そういった”強いチーム構築をしたい”という
本意を日本人が解釈せんでどーするかな?
とか思うのだけども、その部分にフタをして
結果目標お題目としての”ベスト4”に固執
『云ったじゃないか!?』という批判てのは、
なんだか、寂しささえ漂ってくるなと感じるす。


最近、よく思うのだけどもね、書いてある事、
云われた事、それだけがすべてなんだという
ある意味で現実的なある意味で思考停止的な
捉え方が、アチコチに見受けられるよに感じて
ブログで書いてても気を遣う部分ではあるなぁ。
ソレは前後の文脈やらで判るだろ?って部分も
書いてない、云ってない、あるいはこう書いた、
こう云ったではないか、という捉え方を限定的に
して欲しいという解釈側(あるいはメディア)の
都合で、その文言なりの表現に含まれている
明文化なされてない”本意”の部分を汲み取る
思考というか、自身の解釈で理解する思考を
避けてるよーに感じてて、ソレは安易だなぁと
思うのだな、うん。そーゆーのは好きではない。
書いてないじゃないか、云ってないじゃないか、
書いてるじゃないか、云ったじゃないか、って、
そーいった解釈は、解釈する側の思考放棄を
表明してるよーなモンなんじゃないっすかね?
なんだか、あまりに媒体としての言葉ってのが
コマーシャリズム(損得)に支配されてるよなと
思てですね、まぁ辟易してたりはするかなと。
(だから煽りのプロパガンダが機能するのか?)


”言葉(文言)”という表現は強大な影響力で
だからこそ表現されていない部分にも重要な
意味を内包させるチカラもあるんじゃないの?
最近、自分より年上の世代のモノ云いに対し
あまり良い印象が無いんだよねぇ、、コレは
結構深刻な問題かもしれないなぁとか思うん。
若い衆が言葉尻だけで影響されるってのは
昔からそーだったけども、年寄りの文言から
含蓄が失われたよーに感じるのはこれから
年寄りになるテメェに対しての戒めだわなぁ
と真剣に考えてたりはする。エラそうだけどね。


山本浩さんの実況に絶大な魅力があるのは、
こういった文言の捉え方の見識と含蓄を
持たれていたからだと感じるのだなぁ。


『東京・千駄ヶ谷の国立競技場の曇り空の向こうに
メキシコの青い空が近づいているような気がします』


テレビで観たチアホーンが鳴り響く国立の映像は、
今でも原体験として深〜く記憶に刻まれてるし、
コマーシャリズム(損得=数字)の煽りに捉われ
同じフレーズと絶叫を繰り返す最近の実況には
刹那的な消費行動しか見受けられないからねぇ。


そんな山本さんの”ベスト4”の解釈と解説には
説得力と共感を強く感じたな。また実況聴きたい。


ちなみに、後藤健生さんの見識も合点がいく◎
”J SPORTS/コラム”
サッカーは不確定な量子論的だよなぁ(笑。